【鼎談】今日の表現を巡ってー藤井光×田中功起×高山明 (2015年3月開催)

2015年3月8日、東京都庭園美術館から依頼を受け芸術公社がプロデュースを手掛けた演劇/映画作品「饗宴のあと アフター・ザ・シンポジウム」のアーティスト・トークが開催された。構成・テキストを手掛けた藤井光に加え、美術、演劇それぞれの文脈で活躍するアーティスト田中功起、高山明両氏を迎え、今日の表現を巡る本質的な議論が展開された。


 消えた2万字を巡る物語

司会・相馬千秋(以下、相馬) まずは単刀直入に、「饗宴のあと」を体験して何を受け取ったのか、お伺いするところから始めたいと思います。

田中功起(以下、田中) ちょうど「PARASOPHIA: 京都国際現代芸術祭」(2015年)での僕のプロジェクトが、その発表が行われる京都市美術館の歴史にまつわるものだったので、どんな風に藤井さんが庭園美術館にアプローチするのか、同じような構造をもつプロジェクトだと思ったので、興味深く見ました。一番気になったのは最後のベランダと小客室で、観客についての問いが出てきます。「観客を愚鈍化するおつもりですか?」という台詞が聞こえてきます。観客を巡る物語としては映画「ASAHIZA」とも通じるものがあるはずなので、この台詞に込められた観客の問題をもっと伺いたいと思いました。

『饗宴のあと アフター・ザ・シンポジウム』2015  構成・テキスト:藤井光  (c)Hikaru Fujii

高山明(以下、高山) 最後の部屋で「この人を裏切るのですか」という台詞が出てきて一瞬ドキッとするのですが、これはつまり自分のことかと。お客さんを「この人」と呼び、「この人」は「それ」について問われるわけですが、「それ」が具体的に何のことかは分からない。結局、自分に問いが託されたままでこのパフォーマンスは終わるわけです。内容的にはとても難解で一回で消化するのは難しかったのですが、託された問いについて知りたくなり、家に帰っていろいろ調べてみました。なるほど、この作品で描いている、あるいは、描くことのできなかった「それ」はこうした出来事なのかと。ようやく日常の中でこの作品の体験が着地したのを感じると同時に、自分の見たもの、聞いたものを長いこと想起しながら考えることが出来ました。

藤井光(以下、藤井) お二人の感想を楽しみにしていましたが、最初から踏み込んできましたね(笑)。お二人から出た観客を巡る問いに答える前に、どのようにこの作品の形式が生成されたかをお話させて下さい。この作品ではアプリからの音声を聞くという形式を採用していますが、それ自体は新しいものでもなんでもありません。ただこの庭園美術館という場所でやるにあたっては必然的な形式に感じられました。というのも、普段映像をとっている身からすると、この美術館の中で視覚的な情報は過剰にある。館内を歩けば、建物の装飾があり、美術品が並べられた企画展も行われている。そのような観客の目の前に広がる視覚的な世界を映像でいうところの「イメージ」として捉え、そこに音声を重ねていくという形式にするというのはごく自然なことに思われ、すんなり決まりました。

『饗宴のあと アフター・ザ・シンポジウム』2015  構成・テキスト:藤井光  (c)Hikaru Fujii

そしてこの建物にまつわる歴史と記憶をフルに使おうということで、リサーチを展開しました。では、この作品の観客論というのはどこから出てきたのか? 観客を問うているのか、この美術館という美の制度を問うているのか、自分にもまだ未分化なところがありますが、なぜそこに行き着いたのかを話す必要があります。

この美術館はかつて皇族の邸宅で、朝香宮鳩彦王という人物とその家族が住んでいました。鳩彦王は、Wikipediaにも書いてあるように、いわゆる南京大虐殺が起きたとされる南京攻略戦に居合わせた軍のトップの人物だった。その事実に関する資料は国立国会図書館などにも所蔵されていて、僕は、この建物の中でIPS(国際検察局)が鳩彦王に行った尋問の調書を入手し全文を翻訳しました。またこの建物は戦後、当時の吉田茂総理大臣兼外務大臣の公邸となり、日米安全保障条約を締結するための準備作業がここで極秘に行われていました。その資料には、政治家や軍人たちが再軍備をめぐり討議した詳細な議事録が残っています。それらは長いあいだ機密文書でしたが、2000年代以降、この国の第一級の歴史資料として外務省が情報を公開します。

僕はこうした歴史資料を使って作品を構成し、さらに映画監督の深田晃司さんがそれを2万6000字に及ぶシナリオにしました。しかしそれをそのまま上演することは出来なかった。その理由は様々ありますが、自分に圧力がかかったということもあり、深田さんのシナリオを6000字まで圧縮せざるを得なくなった。つまり消えた2万字がある。よって作品は、この消えた2万字を巡るものになった。それが観客を巡る問いなのか、美術館という制度を巡る問いなのかは何とも言えませんが、消えた2万字を巡るものとして生まれたことは素直に言っておきたいです。


美術館という制度の中で


相馬
 芸術が歴史を扱う際に、ある政治的立場からは扱って欲しくない歴史に触れてしまうということは良くあることですが、その時、それを扱わないのか、いや扱うとしたらどういうアプローチがあり得るのか、ということは今日この場で議論を深めたいと思います。 

少し藤井さんの話に補足しますが、藤井さんのリサーチ能力は凄まじく、研究者でもなかなか見つけられないような膨大な資料をあたりそれを読み込んでいました。ただそれをそのまま作品にするのではなく、それらをフィクショナルなものに変換する作業を深田さんに託した。深田さんはそこから大文字の歴史だけではなく、そこに暮らしていた皇族の方々や、その後のプリンスホテルだった時代まで含め、個人の物語としてのフィクション化を図ったわけです。結果2万6千字のシナリオができ、それをそのまま上演するかどいうかは創作のプロセスの中でまだ決まっていませんでしたが、そもそもそうした歴史を扱うこと自体について美術館の内部から意見があったことは確かです。

私としてもいろいろと思うことはありましたが、藤井さんに、深田さんのテキストをラジカルに抽象化して、別の次元の作品へと昇華できないかとお願いしました。その議論は非常にタフなもので、一時は藤井さんが「俺はもう下りる」というところまでいき、私も「もう終わったな」と思う瞬間もありましたが(笑)、なんとか今日皆さんにご覧頂いたような形の作品にはすることが出来ました。 この問題は、今日の日本という社会の中、あるいは美術館という制度の中で歴史を扱う際に、誰もが多かれ少なかれぶち当たることで、我々は今回このような形で経験したんだなという風に思います。